こんにちは^^NACOです。
あなたは、完全なる暗闇を体験したことがありますか?
私は、長年東京に住んでいましたが、都会は住宅街といえども夜中真っ暗になることは皆無でしたし、田舎に引っ越してからもそれでもやっぱり月明かりや街頭の明かりがあったりして、完全な闇を経験したことはありません。
まあ、ほとんどの人はそうだと思いますが・・現代に生きる私たちは完全な闇に晒される機会はほとんどないですよね。
私たちは、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚という五感を使って、世界を感じ、認識し、理解していますが、この五感の中でも「視覚」からの情報量は最も多く、インプットされる情報量のゆうに8割以上を視覚から得ている。
たしかに、あらゆるメディアで伝達される情報というのもほとんど視覚から入ってきていますよね。
文字を読んだり、映像や図形や画像という色や形があるイメージをビジュアル表現から得ています。
初めましての人に会った時も、あなたはまず「見た目」からどんな人なのかを推し量ろうとしていると思います。
優しそうな人、おしゃれな人、にぎやかそうな人、若い人、子供がいそうな人、年配の人、
年収が高そうな人、貧乏そうな人、モテそうな人、仕事ができそうな人・・・・などなど
まずは「見た目」という視覚情報で他人を認識したり判断しますよね。
人間が視覚という感覚器から得る情報量はあまりにも多く強力なので、本物の暗闇でない限り、誰でもファーストインプレッションはまずは見た目で判断しようとします。
見た目が美味しそうなお店には行きたいと思うだろうし、マズそうなお店には行きたくないですよねw
ということで、もし、この圧倒的な情報の入手経路である『視覚情報』がなかったら、私たちは環境をどう認識し、コミュニケーションにどのような変化が起こるのか・・?
それを体験するべく「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ってきました。
結論的には、
すごく良かった!大きな気づきがあった!!
ので、感想や体験レポをお届けしていきますね。
※以下ネタバレを含みますが、体験することに価値があるワークショップなので大まかな流れを知るだけなら参考にしていただけると思います。「イベントの内容を知らずに行きたい」という方は、行ってから読まれることをおすすめします^^
INDEX
Dialog in the Darkとは?
ダイアログ・イン・ザ・ダークを知らない人のために、ちょっとご紹介。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク(略してDID)は、日常生活のさまざまな事柄を暗闇の中で体験するワークショップ。
実はこのイベントの歴史はけっこう長くて、日本では1999年から毎年期間限定で各地で開催されています。
参加者はグループを組んで一緒に暗闇の中に入っていき、「対話(ダイアログ)」しながら、純度100%の完全なる暗闇の中で、様々なシーンを体験するというもの。
そこには「アテンド」と呼ばれている視覚障がい者のスタッフの方がいて、暗闇の中を導いてくれます。
(まさに暗闇のエキスパート!とても頼もしい存在です。)
今回私が参加した大阪の拠点は国内唯一の常設会場で、これまでもいろいろなテーマのプログラムが企画されていましたが、開設から丸5年を迎えた第20回目のプログラムのテーマは「愛=LOVE」。
暗闇の中の「対話のある家」で、人と人とのリアルな繋がりを見つめ直すことを目的としたこのプログラムに参加してきました。
Love in the Dark〜対話のある家〜
Dialog in the dark
Love in the Dark〜対話のある家〜の感想
ここが『Love in the Dark〜対話のある家〜』の入り口。
ここから、今回「家族」となる他の参加者さんと一緒に入っていきます。
完全な暗闇に入る前に、まず、豆球ほどの明るさの薄く光がある部屋に通されます。
そこで、「白杖」の使い方や、暗闇での心得を教えてもらったあと、さらに奥にあるカーテンの向こう側に移動。
カーテンの向こう側にはまた扉がありました。
そこが『純度100%』の暗闇の世界のようです。
しばらくすると、さらに光が落とされほとんど何も見えなくなりました。
ですが、まだ「完全」ではありません。
扉のある方向から「おかえりなさい!」と声がして、アテンドの「やのっちさん」と「ぐっちさん」が出迎えてくれました。
いよいよ扉をくぐって完全な暗闇を体験しにいきます。

純度100%の暗闇、をビジュアルで表現するとこんな感じ。
文字通りですが何も見えませんw
その暗闇っぷりたるや、目隠しをしているとか、目をギュッとつむっているとか、そういうレベルではないです。
目隠しをしても目をギュッとつむってもうっすら光が入ってきますし、たとえ夜だったとしても、街頭の明かりや月明りがあるので、現実世界において純度100%の暗闇を体験する機会はそうそうありませんよね。
なので、最初この空間に入った瞬間、全くのアナザーワールドに迷い込んだ感があり、同時にとても恐怖を感じました。
いかんせんすべてが暗闇なので、世界の境界線が分からない状態になるんですよ。
自分を形づくる境界線までもなくなり、まるで自分が暗闇に溶けてしまったよう。

100%の暗闇とはそういう世界。
自分という存在が消えてしまったかのような感覚です。
そして、みんなで暗闇の家の中に靴を脱いで入っていきます。
まずは部屋の中の物をおそるおそる触りながら物色。
本当に何にも見えないので、他の人の声だけが頼りなんですよ。
どんな部屋なのか、何があるのかを知ろうと、人の声や自分の指先の感触に自然と意識が集中します。
もし視界が見えていたら、ここまで集中して部屋を知ろうとはしなかったかもしれないなー。
部屋をパッとみて「こんな感じの部屋か」と表面だけ見て、すぐに別のところに意識が行ってしまったかも、と思いながら、壁のザラザラした質感やラグの素材感、家具や小物の形を確認していました。
そして、ひととおり部屋を物色したあと、テーブルを囲んでティータイムです。
アテンドのぐっちさんが、暗闇の中お茶を入れてくれて、一人一人に振る舞ってくれました。
そして1枚のチョコレートを「家族」のみなさんと分け合って食べながら、「愛」や「大切なもの」について語りました。
初対面の人と「愛」や「大切なもの」について語り合う、これも日常生活ではなかなか経験できないことですよね。
そもそも、そんなスケールの大きなテーマについていきなり知らない人と語り合うなんて緊張する?と思いましたが、意外とみんな冗舌でたくさん話していました。
そして、普段は人見知りしてしまう私も『かわいい愛猫から学んだこと』について熱弁w
こんな話をして自分をさらけ出すと、一気に他の方との心理的な距離感が縮まり、急激に暗闇が温かく心地よい場所に変わっていく感覚になりました。
最初は自分の存在が消えてしまったかのような恐怖を感じていたのに、だんだん、あたたくてまるで母親の胎内にいるようなホッとする場所に変わっていったんです。
そして最後は、最初に入った豆電球ほどの明るさの部屋に戻って、輪になって座り感想などをシェア。
暗闇の中ではあんなに饒舌で和気あいあいと喋っていたのに、明るい場所に戻ると急に口数が少なくなって顔を見合わせる「家族」のみなさん^^;
ぐっちさんが「明るくなるとね、みなさんシーンとしちゃうんですよ(笑)」とおっしゃっていました。
そして、目が明るさに慣れてきたころ、別の出口から完全な光の世界へと戻ります。
その後一緒に参加した家族のみなさんとアンケートを書いて解散、となりましたが、印象的だったのは、さっきまであれだけ和気あいあいと話し、友達のような距離感だったのですが、明るい世界に戻ってきたのと同時に少し距離を感じました。
それだけ「視覚」が対人コミュニケーションに与える影響は大きいのだろうな、と思いつつ、見知らぬ他人を心強く思ったり、心を開いて親しむことができ、本当の人と人とのリアルな繋がりを感じることができたのはとても良かったです。
完全なる暗闇を体験して得た3つの気づき
1. 視覚は時にコミュニケーションの邪魔になることがある
私たちは視覚から入る情報に惑わされすぎているのではないか?
視覚が使えない世界を体験して、ふとそう思いました。
コミュニケーションにおいて、「見すぎている」ことがかえって、雰囲気をギクシャクさせたりある種の「縛り」を生み出したりしていることもあるんじゃないかな、と。
実際、光のある世界よりも圧倒的に暗闇の世界の方が、他人との心理的な距離は近かったんですよね。
年の離れた子供とも気心知れた友達のように話したり手に触れたりしていたし、相手の話を聞く時も背筋をピンと伸ばしたりせず、リラックスしながら聞いていた。
つまり、いかに普段光の世界で、
他人を「目」で見て、「見た目」で相手を推し量り、
顔色を伺い、言葉を選び、身構えながら
コミュニケーションをしているか、
という気づき。
暗闇の中では、相手の外見的な特徴や年齢や表情など、外に纏っているものが一切無効になって、より相手の本音や本質により近づくことができる。
だから、初対面の他人にも「家族」に近い親近感を感じて、すぐにオープンになって自分を開示したり助け合ったりできたんだと思います。
「見た目」に頼りすぎると、自分で心の鎧を装備してしまい、
人に警戒心を与えてしまうことがあること。
人の目を気にしすぎたり、構え過ぎたりせずに、
もっと相手の言葉に耳を傾け内面的な優しさや温かさを見つめる必要があること。
これはとても大きな気づきになりました。
これぐらい「家族」のように本質でコミュニケーションすれば、きっとどんな人が相手でも人間関係で疲れないよね。
2. 暗闇には自由で豊かな世界が広がっていた
参加者の小学生の女の子が、「結局どんな部屋だったんだろう〜!気になる!」と言っていたのですが、暗闇ではイメージを自由に膨らますことができました。
8割以上を依存している視覚では、見た空間をカメラのシャッターを切るように2次元的に切り取って、一瞬で「見たまま」で捉えるので、それ以上広げようもないですが、暗闇の中では「音」や「声」「手の感触」など少ない情報に意識が研ぎ澄まされ、実にいろいろなパターンの世界を作り出すことができるんです。
たとえば、「このツルツルとした質感のコップはどんな色のコップなんだろう・・?」というように、コップ一つとってもいろいろなイメージが湧いてくる。
イマジネーションの世界は、とにかく豊かでバリエーションが多く自由そのものです。
空間の広さだって、音の反響から推し量るということをしなければ自在に変えることができる。
視覚があると情報量が多すぎるためにどうしても見たものに縛られてしまい、そこで固定されてしまいますが、潜在意識は現実世界とイマジネーションの世界を区別できませんよね。
見てパッとすぐに分かることは確かに便利であるけれども、それが豊かなことなのかどうかを考えると、そうとも言い切れない気がします。
少なくとも、視覚情報に縛られない暗闇の世界では、自由で非常に濃い経験ができていると思いました。
3. 人は助け合いながら生きているということ
「暗闇の中では積極的に声を掛け合っていきましょう!」
と、入場前に説明を受けていたのですが、私は最初、暗闇にビビりすぎていて、声をあまり出すことができなかったんですねw
すると、アテンドの方が「ナコさん、いらっしゃいますか?」と声をかけてくれて、私は「ハイ!」と返事をしました。
その時、とってもホッとしたんです。自分の存在を確認できたから。
何も発信しない、ということは、存在しないのと同じになってしまうんですよ、暗闇では。
結局、暗闇の中で無事にズッコケもせず壁に頭もぶつけず進むことができたのも、自分の存在が確信できたのも、アテンドの方や他の参加者さんの存在があったから。
その時改めて思いました。
「見れば分かるよね」みたいな態度だったり、関わるのが面倒くさいとか、そういう考え方って目に頼り過ぎた結果、人は助け合って生きているという前提を忘れてしまっているからだと思う。
『暗闇の中で手探りで他の人の手に触れたとき温かくてすごく安心した』と言っている人もいたけど、まさにその通りで、人ごみや満員電車の中で、他人の温かみを感じることは難しいかもしれない。
だから、思い出す必要があると思うんですよね、人の存在が有り難いものだということを。
暗闇はそういう当たり前の大切なことを再認識させてくれました。
SNSなどの便利なコミュニケーションツールで、人との繋がりがとても簡単になり効率化されましたが、こういった本物の対話をしてみるとまた違った形で「繋がる」ことの素晴らしさを実感できるかと。
「ああ繋がれて良かった〜!」と心底から思えるような繋がり方を体験できると思います。
まとめ
今回体験して思ったのが、アテンドの方の頼もしさや優しさを身にしみて感じたこと。
お茶を入れてもらった時も、紅茶やカップやお湯が置いてある場所を全て把握していて、「右からカップ来ますよー」と声をかけながら手渡してくれて、まるで暗闇の中が全て見渡せているようなんです。
本当に頼もしいこと!!!
「視覚」というツールを持たない代わりに、非常に鋭敏な他の感覚を使って、より本質的なところで他者とのコミュニケーションをしたり世界を認識しておられます。
「視覚障がい者」という呼び方が、私は以前からなんか違うなという違和感があったのですが、誤解を恐れずに言うとそれは「障害」などではなく「個性」なのだと、そう思っています。
自分と異なる文化や感覚を持つ人と触れ合うと大きな気づきがある。
だからこそ、アテンドの方の世界を私は「素敵だ」と感じましたし、もっと知りたいと思いました。
また、今回得たこの気づきを、私が普段見ている世界でも忘れないようにしていきたいと思いました。
やのっちさん、ぐっちさん、暗闇でご一緒したみなさん、本当に素敵な体験をありがとう!
まだ暗闇での対話体験をしたことがない人は、超オススメですので是非行ってくださいね!
絶対絶対何かしら感じるものはあると思います。
自分に足りてないもの、忘れている大切なこと、それぞれ感じることは違うかもしれませんが、今の自分にとって大切なことに気が付きます。
非日常や異なる文化を感じて、日常を振り返ることってやっぱり大事ですね^^